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東京高等裁判所 昭和63年(う)347号 判決 1988年11月28日

主文

本件各控訴をいずれも棄却する。

理由

本件各控訴の趣意は、検察官遠藤寛が提出した検察官渡邉靖子作成名義及び弁護人岡田優仕作成名義の各控訴趣意書に、これらに対するそれぞれの答弁は、弁護人岡田優仕作成名義及び検察官竹内正作成名義の各答弁書にそれぞれ記載のとおりであるから、これらを引用する。

一  弁護人の控訴趣意中事実誤認の主張について

所論は、要するに、原判示第一の事実のうち現住建造物等放火及び殺人・同未遂の事実について、被告人は、本件建物一階において、Aに何か武器を探して反撃して来られそうであったことから、ガソリンに気付き、これに火を付け、同人が消火に手間取っている間に逃走しようと思っただけであって、同人が火を消し止めるから、火災になるようなことはないので、二階の女性たちに危険が及ぶなどとは全く考えていなかったのであり、被告人には放火の故意がなく、右女性らに対する殺人、同未遂については未必の故意もないのに、これらの各故意を認定した原判決には判決に影響を及ぼすことが明らかな事実誤認があるというのである。

そこで、原審記録及び証拠物を調査して検討すると、原判決挙示の関係各証拠によれば、原判決が「罪となるべき事実」第一として認定判示しているところは、現住建造物等放火の故意及び殺人・同未遂の未必的故意の点を含め、正当として是認でき、また、「被告人及び弁護人の主張に対する判断」の一つの項の説示も正当として維持でき、当審における事実取調べの結果を考え合わせても、原判決には所論のような事実誤認はない。所論に鑑み補足して説明する。

1  放火の故意について

原判決挙示の関係各証拠によれば、被告人は、昭和六一年一二月八日午前三時四〇分ころ、山梨県東八代郡石和町所在の本件建物である第三〇〇ハイツ二号棟五号室にその勝手口から合鍵を用いて侵入し、その前日に買い込んだガソリン約八ないし九リットル入りのポリタンクを持ち込んで勝手口の脇に置いて同室二階に上がったところ、その二階に住む台湾人女性らに気付かれ、その後まもなく、同女らの連絡を受けてやって来たAと一階の階段上り口附近で出会い、同人に対し所携の刺身包丁で切り掛かるなどしたのち、なおも同人が反撃の構えをみせたことから、本件建物の一部である一階台所のベニヤ板に合成樹脂を張り付けた床にガソリンを撒き、さらに同人の方へ右ポリタンクを蹴り倒し、勝手口から二階に通じる階段に至る広範囲の床上におよそ三リットルのガソリンを撒き散らし、そのガソリンにガスライターで点火してこれを燃え上らせ、同人がこの火勢にひるんでいる隙に勝手口から逃走したことが認められる。そして、被告人は、捜査段階において、ガソリン入りポリタンクを本件建物内に持ち込んだ目的について、用心棒に捕まりそうになったとき放火し、相手が消火に手間取っている間に逃走するためであったという趣旨の供述をしている。そうすると、被告人は、現実に可燃性の床上に燃焼力の極めて強いガソリンを広範囲に撒き散らしたうえ、これに点火して燃え上らせた際、その行為自体から、自己の行うことによって床や壁などに火が燃え移るであろうことを当然に認識していたものと考えられ、これに右のような被告人の供述を合わせ考えれば、直接の動機が所論主張のように被告人自らの逃走を容易にするためであったとしても、その際被告人が本件建物を焼燬することを認識しながら、それも構わずガソリンに点火したことは明らかであって、現住建造物等放火の故意を認定した原判決には所論のような事実誤認はない。

2  殺人、殺人未遂の故意について

原判決挙示の関係各証拠によれば、本件第三〇〇ハイツ二号棟は、比較的燃え易い木造二階建スレート葺貸店舗兼共同住宅一棟であって、三室に区分されていたこと、同棟五号室は北端の一室であり、一階は使用していない店舗部分、台所及び風呂場に分かれ、西側の店舗の出入り口にはシャッターが降りていて内鍵が掛かっており、出入り口は東側の台所の勝手口があるだけであったこと、二階には寝室の東側六畳間と事務室の西側六畳間とがあり、それぞれに窓がひとつずつしかなく、寝室の窓は内鍵が掛けられその外側の雨戸が締め切られており、事務室の窓も内鍵が掛けられその外側のベランダは三方とも1.5メートル以上の高さのよしずが張り巡らされていたこと、すなわち、二階部分は外部からは隔離されたようになっていて、二階から屋外に出るには屋内に一個所だけ設けられていた幅約八〇センチメートルの狭くて急な階段の外に、外部の避難階段その他利用できる階段がなく、また、使用できる出入口は勝手口のみであり、ひとたび一階台所付近で火災が発生した場合には二階にいる者が屋外に極めて脱出しにくい構造及び状況となっていたこと、被告人は、五号室に侵入する直前その周りをほぼ一巡しており、さらに前夜から付近で五号室の様子をずっと窺っていたので、外部から本件建物の状況を十分知り得たこと、また被告人は、五号室に侵入後一階の様子を一通り見回り、さらに階段を上って二階にも上がったことから、室内の様子も概ね分かっていたこと、被告人は、二階に至り台湾人女性らが在室していた寝室のふすまを開けたため、女性たちが口々に叫び声を上げたことから数人の女性がいることが分かっていたこと、それであるのに、被告人は、自らの手で電灯線のブレーカーを切って真暗闇にしたうえ、右女性らが二階から一階へ降りて来る唯一の通路である階段下り口から勝手口まで一面にガソリンを撒いてこれに点火したこと、その点火により、ガソリンは、一瞬のうちに炎が天井に達するほど急激に燃え上がり、傍らにいたAも火勢の強さに消火どころか、一階店舗のシャッターを開けて辛うじて屋外に脱出したこと、本件建物も激しく燃え出したため、二階にいた四人の台湾人女性のうち、B及びCは無我夢中で二階のベランダからアスファルト路上に飛び降りることを余儀なくされ、ようやく一命は助かったもののいずれも重傷を負い、一方、D及びEはいずれも、燃焼ガス吸引による一酸化炭素中毒により全く室外に出る間もなく寝室で死亡したこと、なお、被告人は昭和五五年九月ポリタンク入りのシンナーに点火して木造平屋建アパートを全焼させたという現住建造物等放火罪により懲役六年に処せられた前科があることなどの事実が認められる。

以上の各事実、すなわち、前述した放火の態様つまり勝手口から階段までの広範囲な床上にかなりの量のガソリンを撒き散らして火を放ったこと、被告人には前にも自ら放火したことがあり、いわばその体験からガソリンに点火すれば急速に火を燃え広がらせることになるであろうという認識をもっていたものと推認されること、被告人は二階に複数の台湾人女性がいることを承知しており、また二階が前述したように外部に脱出しにくい密室状態であることについても認識していたものと考えられること、当時は冬の深夜であるうえ、自らブレーカーを切って真暗闇の状態にしていること、二階に在室する女性たちは被告人すなわち不審な男の侵入したことに気付いて、すでにかなり混乱した状態に立ち至っていたこと、被告人も右女性たちがこのような状態にあることを認識していたこと等を総合すれば、被告人が本件放火当時、二階に在室する女性たちが逃げ遅れて死亡するに至ることもありうるものと認識しながら、そのようになるのもやむを得ないものと思って敢えて放火したものと推認することが十分可能である。そして、このように客観的状況から推認可能なことに加え、二階に在室する女性たちに対する未必的な殺意のあることを認めた被告人の捜査段階における自白(任意性が肯定できることは、次に述べるとおり)を合わせ考えれば、殺人・同未遂の未必的故意を認定した原判決の事実認定には何らの誤りはない。

所論は、被告人が殺人及び殺人未遂につき未必の故意があった旨の供述記載のある被告人の検察官に対する昭和六二年二月三日付供述調書には任意性がないと主張する。しかし、被告人の原審公判廷における供述によっても、被告人が捜査官らに対し任意に供述したことは明らかであり、その取調に際し、強制の加えられたことを窺わせるような状況は一切認められず、また、被告人の当審における供述中には死刑を求刑しないといわれて自白した旨述べる部分があるけれども、その供述自体曖昧なうえ、取調べに当たった検察官の用いた一部の言葉を誇張して述べているものと窺え、これを信用することができず、被告人の右調書に任意性があるものとした原判決の判断は正当である。

したがって、論旨は理由がない。

二  検察官の控訴趣意について

所論は、要するに、量刑不当の主張であって、本件は、現住建造物等放火、殺人、同未遂等の重大かつ凶悪な事犯であって、その結果は極めて重大であるばかりか、犯行態様の危険性は高く、犯行動機等の諸犯情も極めて悪質であり、さらにこれに被告人の前科、悪性等を考え合わせるとき、被告人に対しては死刑をもって望むほかはなく、被告人を無期懲役に処した原判決の量刑は軽きに失し、不当であり、破棄を免れないというのである。

そこで、原審で取り調べた証拠を調査し、当審における事実取調べの結果を考え合わせて検討すると、原判決が「量刑の事情」の項で詳しく説示しているところは概ね相当であって、原判決の量刑が軽きに失しているとは考えられない。所論に鑑み補足して説明する。

1  本件は、原判示のとおり、被告人が、深夜、売春婦(台湾からの出稼ぎ女性たち)の住居に侵入し、その家の主人を刺身包丁で切り付けるなどして傷害を負わせ、右女性らがいることを承知のうえ同女らが死亡するかもしれないものと思いながらあえて、床にガソリンを撒いて放火し店舗兼共同住宅を焼燬し、逃げ遅れた女性二人を死亡させ、他の女性二人に重傷を負わせ(原判示第一の事実)、その他現金合計約八九万円余などの六件の窃盗をした(原判示第二の1ないし6の事実)という事案である。

2  まず、結果が重大であることは所論指摘のとおりである。すなわち、原判示第一の放火等の犯行により、まだ二八歳の若さで前途ある二名の台湾人女性を燃焼ガス吸引による一酸化炭素中毒により死亡させ、目を覆うばかりの無惨な遺体を異国でさらすことになった本人らの無念さはもとより、その遺族らの心情も察するに余りあり、また、さらに二名の台湾人女性に二階から路上に飛び降りさせて、同女らに間一髪生命をとりとめさせたものの、それぞれに重傷を負わせて長期間入院治療を受けさせたうえ後遺症にも悩ませるに至っており、Aに対しては刺身包丁で切り付けて傷害を負わせたばかりか焼死の危険にもさらさせたものであって、これらの人々に与えた精神的肉体的苦痛は図り知れないにもかかわらず、これらに対する慰藉の方途は全く講ぜられておらず、被害者らやその遺族らが極刑を望んでいるのも頷けるところである。さらに、本件建物やその中の家財などに対する財産的損害も多額に上り、これについても一切被害弁償がなされておらず、また、本件現場が石和温泉のホテル、アパートが立ち並ぶ市街地にあって、延焼の危険も大きく付近住民に与えた恐怖感も大きかったものと考えられ、社会に与えた影響も無視し得ないところである。なお、原判示第二の窃盗のうち別紙犯罪一覧表1、2、6の各犯行は、被害者らの好意を逆手に取って判示のような窃取行為に及んだものであり、その金銭的被害もさることながら、善意を裏切られた被害者の怒りも無視できるものではない。

3  つぎに、原判示第一の犯行態様が危険凶悪であることも所論指摘のとおりである。すなわち、前述のとおり本件現場の建物の内特に女性たちがいた二階は密室状態であって、ひとたび火災が発生すると脱出が困難であるのに、被告人はこれを十分認識しながら、極めて燃焼力の強いガソリン八ないし九リットル入りのポリタンクを室内に持ち込み、これを台所の床上に撒き散らし、とりわけAのいる方向にポリタンクを蹴り倒して、これに点火したものであって、そのため炎は一瞬のうちに天井に達し爆発的に炎上しており、その人命や財産に対する極めて危険な犯行というべきである。

4  ところで所論は、原判示第一の犯行は被告人のハナコことF(以下「ハナコ」という。)に対する異常な執着心と自己本位な独占欲の発現と認められ、動機において酌量の余地は全くないと主張する。

この点は、原判示第一の住居侵入の動機に関する限り概ね所論指摘のとおりである。すなわち、被告人は、昭和六一年一一月二八日に石和町の秘密売春クラブ「××」の売春婦ハナコの客となったことから、同女に強くひかれるようになったこと、そこで、翌二九日も右「××」に電話を掛けて同女を誘い出して行動を共にし、五万五〇〇〇円の化粧品を買い与えるなどして同女の歓心を買おうとしたうえ、その夜は同町内のホテルに同宿し、翌三〇日には同女を旅行に誘い、また同女に対し借金を返してやるから結婚しようなどと結婚を申し出るなどもし、同女と共に長野県諏訪市に行き同市内の旅館で一泊して、翌一二月一日には諏訪湖で遊んだりした後甲府市内に戻り同市内のホテルで肉体関係を持ったこと、ところが、所持金も残り少なく同女に対する旅行による同伴代を含む売春代金一四万円の支払いも心もとない状態になっていたことから、「石和駅に友達が金をもって来る。」などと嘘を言って、同女が同駅待合室に待っている隙に、同女のパスポートや「××」の合鍵などが入っている同女の手提げ袋を持ったまま逃走したこと、被告人は、東京に戻ったものの、同女のことを忘れることができず、翌二日に同女の友人に電話を掛け、パスポートを返してやるなどと言ったりしてハナコの歓心を繋ごうとし、翌三日「××」に電話を掛け同女がまだ台湾に帰らず「××」にいることを確認したりし、翌四日も石和の町の中を徘徊し、翌五日は思い出の諏訪湖畔に行きまた甲府の友人方でその友人の帰りを待つなどし、ハナコとなんとか会おうとしていたこと、さらに、本件放火等の犯行後報道された死傷者の中にハナコの名前がないことから、同女の様子を知ろうとして甲府市や石和町などに立ち戻り、同年一二月二三日Aに同女のことを尋ねようとして石和町内を徘徊中に警察官の職務質問を受けて逮捕されるに至ったことなどの事実経過に照らすと、被告人がハナコに対し異常とも思われるほど強く執着していたことが窺われる。そして、被告人の供述中、本件動機に関して、被告人が「××」の近くで、売春婦らしい台湾人女性らの出入りする様子を見ているうちに、ハナコも客を取って売春をしているものと思い、非常に寂しい気持ちになり、踏ん切りを付けないと同女を忘れることができないので、同女と一緒になれないにしても、警察官になりすまし「××」に侵入し同女を脅して売春を止めさせ、台湾に帰るようにさせようと考えるに至った旨述べているところは、その心情を吐露しているものと認められ、ハナコに対する執着心や独占欲が「××」への侵入の動機となっているものと認められる。そうすると、このようなことは、被告人の全く自己中心的な思い込みによるものであって、同情の余地はない。しかしながら、脅すことが目的であったということに関しては、脅しだけなら警察官になりすまして電話を掛けることでも十分であるのに、わざわざ侵入するという点や、警察官としてはありえないような変装をしている点等不自然なところもあって、直ちに首肯しがたいけれども、被告人が所持して行った刺身包丁やガソリンで同女を殺傷する目的があったとまで認める証拠はないので、右以上に悪い情状とはなしえないものと考えられる。

5  また所論は、本件放火、殺人及び殺人未遂の犯行は決して偶発的なものではなく、事前に準備され、覚悟のうえで敢行されたものであると主張する。

この点に関し所論指摘の事情は量刑上考慮すべき事情としては概ね相当であるが、これらの事情をもって計画された悪質な犯行であると評価している点については、原判決の説示のとおり直ちに採用できないものといわざるをえない。すなわち、被告人は、本件犯行の前日石和町のスーパーマーケットで刺身包丁を購入し、ガソリンスタンドでガソリンを約一五ないし一六リットル購入し、その半分くらいは投棄したが、残りの約八ないし九リットルはポリタンクに入れたまま隠匿しておき、「××」に侵入することを決意するや、前記刺身包丁とガソリン入りポリタンクを取りに行き、さらに駐車中の自動車内からガスライターを窃取し、ヘルメットも窃取したこと、被告人は、右ヘルメットを被りマスクを掛けて変装をし、手袋をし、同八日午前三時四〇分ころ前記ハナコから窃取した合鍵を使って「××」の一階勝手口から侵入したこと、前記ポリタンクを扉付近の床に置き室内の様子を窺ううち、二階から話し声が聞こえたことで女性たちが二階にいることがわかると、電灯線のブレーカーを切って室内を暗くし、右手にペンライト左手に刺身包丁を持って二階に上がり、寝室に居た四名の女性に対し「警察だ。」などと言ったところ女性たちが叫び声を上げたこと、ところが、被告人は、女性たちから連絡を受けて駆け付けたAが一階から「どうした。」などと声を掛けたため、用心棒が来たと思い慌てて一階に降りたところ、階段の上り口付近でAと遭遇し、右包丁で同人に切り付け傷害を負わせたこと、被告人は、Aが負傷でひるんだ隙に勝手口扉に駆け寄ったが、同人に「もうお巡りに連絡してあるから絶対逃げられんぞ。」と言われるや、同人の方へ振り向きポリタンクに入ったガソリンを台所の床に撒き、さらに同人の方へ右ポリタンクを蹴り倒し、広範囲にガソリンを撒き散らし、これに右ガスライターで点火して火を放ち、同人がこの火勢にひるんでいる隙に勝手口扉から逃走したこと、などの事実に照らすと、所論指摘のように単なる偶発的なものではなく、事前に凶器などを準備して現場に臨んだものであることは明白である。しかし、被告人は、その供述中で、刺身包丁とガソリンとを持って行った目的について、用心棒につかまりそうになったとき切り付けあるいは放火し、相手がひるみあるいは消火に手間取っている間に逃走するためと述べている。そして、被告人の右弁解は、常識上直ちに納得しにくいものというべきであるけれども、ハナコが在室していたことの確認をしていた訳ではないこと、本件被害女性やAに対する恨みなど直接に危害を加える理由は見当たらないこと、ガソリン入りポリタンクを勝手口付近に置きこれを二階には持って上がっていないこと、生存している女性が被告人の警察だと叫ぶ声を聞いたと述べていること、被告人が二階に上がった際至近距離にいた女性に対しても所携の刺身包丁を振るったりしていないこと、現実にAから逮捕されたりするのを免れようとして右包丁を振るい、また現場から確実に逃走する手段としてガソリンに点火して使用したことなど、右弁解に符合するような状況も存在し、また、被告人のこれまでの殺人や放火等の前科にかかる事件においては、いずれも関係を持った女性が被告人を裏切るとか被告人に冷たい態度をとるようになり、その言動が引金になっており、本件ハナコがそのような言動をとったわけではないので、それらとは事情が異なっており、右前科をもとに本件の際に被告人が前科の場合のような爆発的な行動に出たものと推認することもできないものといわざるをえない。そうすると、被告人においては成り行きによっては包丁を傷害等の用に、ガソリンを放火等の用に供する意図を有して現場に臨んだことをせいぜい認め得るに過ぎず、そうすると、放火して他人を焼き殺すことを準備して実行に移したようないわゆる計画的な事案とは若干事情を異にし、犯情においてかなりの違いがあるものといわざるをえない。

加えて、被告人の放火行為が極めて危険な犯行であって、死者が出ても不思議でない程であったにしても、被告人がこれら死の結果を積極的に意図したものではなく、本件殺人及び殺人未遂が未必の故意に止まる以上、この点でも確定的な故意の事案とは犯情に格段の差があり、その差が量刑上大きな意味があるものと言わなければならないとした原判決の説示は正当として是認すべきものと考えられる。

6  また所論は、被告人の反社会的性向は極めて悪質かつ強固であって、被告人の存在は一般社会に対する大いなる脅威であり、しかも、被告人は自己の犯行について反省、悔悟しておらず、今後の矯正あるいは自力更生も期待し得ず、この種の危険な常習的犯罪者ともいうべき者の刑責を決するに当たっては、特別予防、社会防衛の見地から格段の配慮が必要であると主張する。

たしかに、被告人は、自己中心的な動機から無関係な第三者を巻添えにした凶悪・重大な犯行に及び、しかも他人の善意を利用してこれを裏切るようなことも平然として行い、また、被告人はこれまで昭和三九年六月殺人未遂罪等で懲役三年、同四二年九月殺人罪で懲役一二年、同五五年九月現住建造物等放火罪等で懲役六年にそれぞれ処せられた前科があり、これらの前科の内容がいずれも関係のあった女性に対する執着心が動機となった重大事犯であって、本件原判示第一の犯行と類似性があり、本件が殺人では三回目、放火では二回目であり、前刑出所後僅か四か月後に本件犯行がなされていることに照らすと、被告人には所論指摘の反社会的傾向が窺え、社会に復帰した場合にはまたもや女性にまつわる重大犯罪を犯すのではないかとの虞れを否定し去ることはできにくいものといわざるをえない。また前刑の受刑中は極めて良好な成績であったのにもかかわらず、出所後わずかで本件犯行がなされるに至ったことは、矯正の効果が上がっていなかったとも考えられる。しかし、それだけで矯正不可能と断ずるのは相当ではない。すなわち、被告人が例え早期出所や待遇向上を狙ったものとしても、真面目に服役したことはそのようにできる能力と可能性をもっているものといえること、本件で逮捕されてからは被害者らには申し訳ないとして反省の態度を示し、現場に立ち会っての実況見分に先立ち自費で購入した花や線香を死者のためにあげて弔いの意を表明したこと、冥福を祈る趣旨の短歌や俳句を捜査官に披露したり、聖書を読むなどと反省の日々を送る姿勢を示していることなどの事情を考え併せると、被告人が反省していないものとはいえず、矯正の余地もあるべきものと考えられ、特別予防や社会防衛の見地をことさらに強調すべきものとは考えられない。

7  以上のとおりであって、所論には採用できない部分もあり、本件事案の諸事情を総合考慮すれば、被告人を無期懲役に処した原判決の量刑が軽きに失するものは考えられない。論旨は理由がない。

三  弁護人の控訴趣意中量刑不当の主張について

所論は、要するに、被告人の犯行は計画的犯行ではなく、現住建造物等放火については故意がなく、殺人については未必の故意もなかったこと、本件が大きな悲劇となったのは劣悪な居住条件で売春クラブを経営していた者たちにも責任があること、被告人の精神状態に疑問があること、被告人は少年期を逆境に育ち母親の愛に恵まれなかったこと、事件以後心から反省悔悟し改悛の情顕著であることなどを考えれば、原判決の量刑は重きに失し不当であり破棄を免れないというのである。

そこで、原審で取り調べた証拠を調査し、当審における事実取調べの結果を考え合わせて検討すると、各故意がないとの主張が採用できないことは前記一のとおりであり、前記二において検察官の控訴趣意について判断した諸点すなわち本件が放火、殺人などの重大・凶悪事案であり、その犯行態様が危険・悪質であること、結果が極めて重大であること、動機は酌量の余地がなく、いずれの犯情も悪質であること、被告人のこれまでの前科の罪質・態様、再犯の虞れなどの諸事情を考えると、前記被告人に有利に考慮すべき事情を最大限に酌んでみても(なお、被告人の当公判廷における供述によっても、精神状態に疑問を差し挟むような点はない。)、本件を有期懲役に処する事案とは到底考えられず、無期懲役に処した原判決の量刑はまことにやむをえないところであって、これが重過ぎて不当であるとは考えられない。論旨は理由がない。

よって、各刑訴法三九六条により本件各控訴をいずれも棄却し、当審における訴訟費用は刑訴法一八一条一項但書を適用してこれを被告人に負担させないこととし、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官船田三雄 裁判官松本時夫 裁判官山田公一)

《参考・第一審判決抄》

(被告人の経歴及び犯行に至る経緯)

被告人は、満州(現在中国)で出生後まもなくして母をなくし、日本へ引き揚げて来た後は、父と継母に養育されながら、東京都練馬区内の中学校を卒業し、その後都内で木工所の工員として稼働していたが、昭和三九年に当時情交関係を続けていた女性の夫を刃物で刺し、殺人未遂等の罪により懲役三年に処せられ、その後も昭和四二年には自己がその客となった売春婦を絞殺し、殺人罪により懲役一二年に処せられ、昭和五五年には情交関係のあった女性の居住する木造アパートに火を放って全焼させ、現住建造物等放火等の罪により懲役六年に処せられ、いずれも服役した。

被告人は、昭和六一年七月に刑務所を出てからは、刑務所内で同房であったGを頼り、同人宅の家事手伝いなどをし、東京都板橋区内の同人方近くに居住し、同人方に出入りしていたが、同年一一月二六日、判示第二別紙犯罪一覧表1記載のとおり同人方から約八〇万円の金員を盗んで逃走した。そして、被告人は、同月二八日、かつて働いたことのある山梨県東八代郡石和町に赴き、タクシー運転手から同町<住所省略>所在の店舗共同住宅第三〇〇ハイツ五号室においてAが台湾人女性数名を雇い入れて経営している秘密売春クラブ「××」を紹介され、売春婦であるハナコことFの客となったが、同女に強くひかれたことから、翌二九日も右「××」に電話をかけて同女を誘い出し、化粧品を買い与えて同女の歓心を買うなどしたうえ同町内のホテルに同宿し、また、翌三〇日からは同女を伴って長野県諏訪市に旅行をし、翌一二月一日甲府市内へ戻り同市内のホテルで同女と肉体関係を持った。その後、被告人は、「石和駅に友達が金をもって来る。」などと嘘を言って、同女と一緒に日本国有鉄道(現在東日本旅客鉄道)石和駅へ行き、同女を同駅内待合室に待たせたまま、同室前通路で同女の手提袋を自己の荷物と一緒に持ちながら友人を待つふりをしていたが、同日午後五時三〇分ごろ、判示第二別紙犯罪一覧表2記載のとおり同女の隙を見て第三〇〇ハイツ五号室の合鍵もその中に入っていた右手提袋を持ち逃げし、そのまま東京へ戻った。

しかし、被告人は、その後も同女のことが忘れられず、山梨県と東京都の間をたびたび行き来し、その間同女に会う手立てを考え探索したが、果せず、同月七日午前一〇時三〇分ごろ再び石和町に赴き、同町内のスーパーマーケットで刺身包丁一本を購入し、更に山梨県東山梨郡春日居町内のガソリンスタンドでごみ捨て場から拾ってきたポリタンクにガソリン約一五、六リットルを購入した。その後、被告人は、判示第二別紙犯罪一覧表3記載のとおり原動機付自転車等を窃取して乗り回した後、同日夜になってから、前記秘密売春クラブ「××」の入居している前記第三〇〇ハイツ五号室近くに出向き、同空の様子を窺っていたが、翌八日深夜に至り、同室に侵入しようと考え、別の所に置いてあった右ガソリン入りポリタンク及び刺身包丁を取りに行き、途中、同一覧表4記載のとおり駐車中の自動車内からガスライター一個を窃取し、更に、同室に侵入する際に使用するため、第三〇〇ハイツ脇駐車場で、同一覧表5記載のとおりヘルメット一個を窃取し、これを頭にかぶった。

(罪となるべき事実)

被告人は、

第一 昭和六一年一二月八日午前三時四〇分ごろ、前記ガソリン入りのポリタンク及び刺身包丁一本を携えて、前記第三〇〇ハイツ五号室A方に至り、同室西側の裏出入口の扉を前記Fから盗んだ合鍵を用いて開け、そこから同室内に故なく侵入し、ブレーカーを操作して同室の電気を消して暗くしてから、Aが売春婦として雇っているD(当時二八歳)、E(当時二八歳)、B(当時三〇歳)、C(当時二八歳)がいる同室二階へ上り、同女らに対し、「警察だ。」などと言ったが、女たちが「男を呼んだ」などと騒いだため、それだけで階下に降りて来たところ、同日午前三時四五分ごろ、同女らから知らせを受けて同所へやってきたA(当時三八歳)と階段上り口付近で遭遇し、いきなり所携の前記刺身包丁で同人の右手、腹部等に切り掛かり、同人に対し加療約二週間を要する右手背、左大腿屈側、腹部切創の傷害を負わせたが、更に、ここでこのまま同人に捕えられてしまうと再び刑務所に行かなければならないと思い、確実に逃げのびるためには、同室にガソリンをまいて火を放ってしまおうと決意し、それによって火災となり、二階にいる同女らが死亡することになってもかまわないという気持で、同室内に持ち込み、裏出入口近くに置いておいたガソリンを同室の床にまき散らしたうえ、所携の前記窃取に係るガスライターで点火して火を放ち、炎を同室一階床、階段、天井等に燃え移らせ、よって、同女ら及びFが現に住居に使用しているH所有に係る木造スレート葺二階建店舗共同住宅第三〇〇ハイツ(一、二階床面積合計約177.18平方メートル)の五号室部分をほぼ全焼させ、隣接するIが寿司店店舗として利用している三号室部分の二階天井板、梁、たるき等、空室の二号室部分の天井裏を燃焼させ、もって、右店舗共同住宅一棟を焼燬するとともに、その際、逃げ遅れたD、Eを、そのころ、右五号室内において、燃焼ガス吸引による一酸化炭素中毒により死亡させて殺害し、B、Cを同室二階から下のアスファルト路上に飛び降りることを余儀なくさせ、Bに対し加療約六か月を要する脳挫傷、頭部挫傷、第七胸椎圧迫骨折等の傷害を、Cに対し加療約三か月を要する第一腰椎圧迫骨折、左橈骨骨折等の傷害をそれぞれ負わせたものの、右両名を殺害するに至らず、

第二 同年一一月二六日午後三時三〇分ごろから同年一二月二〇日午前零時ごろまでの間、別紙犯罪一覧表記載のとおり、前後六回にわたり、東京都板橋区<住所省略>△△マンション二〇四号室G方外五か所において、同人外六名の所有に係る現金約八九万二〇〇〇円及び旅券外三八点(時価合計約一〇万八九〇〇円相当)を窃取したものである。

(量刑の理由)

一 本件は、判示のとおり、自己がその客となった一売春婦に執着し、刺身包丁及びガソリン入りポリタンクを携えて、同女が起居している店舗共同住宅の一室に侵入し、知らせを聞いて駆けつけた同室で売春クラブ「××」を経営しているAに右包丁で切りつけて負傷させ、更に、複数の女性が二階にいることを承知のうえで、同女らが死亡することになったとしてもかまわないと思いながら、あえて室内にガソリンをまいて火を放ち、右店舗共同住宅を焼燬するとともに、右女性のうち逃げ遅れた二名をその場で死亡させ、二名に重傷を負わせたもの、その他前後六回にわたり窃盗を犯したというものである。

二 ところで、検察官は、被告人の判示第一の住居侵入、傷害、現住建造物等放火、殺人、殺人未遂の犯行は、被告人が真相を語らないため、その真の目的や具体的計画は不明ではあるものの、被告人は、自分の相手をした売春婦から窃取した合鍵を用いて「××」に侵入し、放火を含む凶悪重大な犯罪を実行しようと企てたもので、本件は、犯行の前日から犯行に用いるため刺身包丁やガソリンを購入し、また逃走用の原動機付自転車(別紙犯罪一覧表3のもの)、点火用のガスライター(同4のもの)、変装用のヘルメット(同5のもの)を窃取するなど周到かつ巧妙に準備を整えたうえで敢行した計画的犯行であると主張している。

これに対して、被告人は、「××」に赴いた理由について、自分の相手をした売春婦のハナコと楽しい数日を過した後、同女の手提袋を窃取する行為に出てしまったものの、「ハナコのことがあきらめきれず、ハナコに会いたいと思ったが会うことができず、今後ハナコと楽しく過ごすこともできず、ハナコが他の男の相手をすることはたえられないので、このうえは、せめてハナコたちに対して警察が手入れしようとしていると脅して、ハナコを台湾に帰らせたい。そうすれば、あきらめもつくし、ふんぎりもつけられる。」と考えて赴いた旨述べており、刺身包丁及びガソリンを携行した理由については、用心棒のような男たちから捕まりそうになったら、包丁で切りつけたり、ガソリンで火を放って、男たちが消すのに手間取っている間に逃げようと思って携行した旨述べ、刺身包丁及びガソリンでFら女性に害を加える目的についてはこれを否定している。

たしかに、検察官指摘のとおり、ガソリン購入の目的、刺身包丁及びガソリンを携行して「××」に侵入した目的について縷々説明する被告人の捜査段階及び当公判廷における供述内容は、不自然な点が多く、にわかに信用し難いものであることは否めないが、さりとて、「××」に侵入する際、刺身包丁やガソリンを携行していた等の事実から直ちに被告人が当初から放火を含む凶悪重大な犯罪を計画しこれを実行したと認定するのは飛躍があると言うべきで、本件においては、被告人に当初から右のような凶悪重大な犯行を敢行する積極的な意図があったと認めるに足りるだけの証拠もないと言わざるを得ない。

本件においては、その犯情を考慮するうえで、極めて重要な意味を有すると思われる判示第一の犯行に至る被告人の心情については、結局、その十分な解明は困難であるが、前掲関係各証拠によれば、被告人は、室内にガソリンをまいて火を放った際、少なくとも、Aに捕まらず、確実に逃げのびたいという強い気持があり、このことが判示第一の所為の直接の動機であることは明らかであり、この事情だけをもってしても、そこには被告人の他人の生命に対する無頓着、自己中心性が如実に現れており、重大な非難に値するものと言わなければならない。

三 被告人の「××」に赴いた動機がたとえ被告人の供述どおりであったにしても、判示第一の犯行の結果はまことに重大である。全く落度のない二名の若い女性の生命が一瞬にして失われることとなり、焼け跡から発見された両名の激しい苦悶の跡をとどめる姿はまさに目を覆わんばかりの無残なものである。異国の地において思いもかけずこのような凶悪な犯罪に巻き込まれ、若い生命を落とすこととなった両名の無念な思いは察するに余りあるし、その遺族が被告人に対する厳しい処罰を希望しているのも当然のこととして首肯することができる。また、間一髪で最悪の結果だけは辛うじて免れた女性二名に対しても相当の重傷を負わせることになっており、炎に巻かれながら必死の思いで二階の窓から飛び降りた同女らの恐怖もまた筆舌に尽くし難いものであったと思われる。

結果の重大性は、右女性たちに関するもの及びAに対する傷害など人身に対するものにとどまらず、被告人が放火した本件店舗共同住宅は、結局全部取り壊さざるを得なくなり、その所有者に莫大な被害を与えており、同建物に入居していた寿司店経営者や前記Aにも多額の損害を被らせている。また、被告人の判示各窃盗による被害額の合計も相当な多額にのぼっている。

そして、これに対しては、何ら被害弁償はなされていない。

四 被告人が放火した本件店舗共同住宅のごく近くには他の共同住宅もあるなど付近は住宅地で、当時の気象状況如何によっては他の建物に延焼する危険も十分にあったのであり、深夜の時間帯におけるこのような犯行が近隣の住民に与えた不安と恐怖は多大なものであったと思われる。

本件放火、殺人等の事件は、当時その特異かつ衝撃的な内容の故に広く報道され、社会に与えた衝撃も大きくその社会的影響も軽視することはできない。

五 しかも、被告人はこれまで三回にわたり懲役刑に処せられ服役しているが、いずれも、本件と同じく、自己が関係を持った女性に対する異常なまでの執着がその原因になっているものであり、それらは、被告人の経歴及び犯行に至る経緯で述べたとおり、殺人未遂、殺人、現住建造物等放火等凶悪犯ばかりで、特に、殺人と名のつく犯罪は今回で実に三度目であって、他言を要せず、被告人の刑事責任は極めて重大と言わなければならない。そして、被告人は、昭和六一年七月二七日に最終刑を終わり刑務所を出所してから僅か四か月弱で判示第二別紙犯罪一覧表1の窃盗を犯し、それからは続けざまに本件各犯行に及んでいるのであって、このような被告人に対しては社会防衛の見地からも断固たる態度で臨む必要性が痛感される。

六 しかしながら、他面において、本件中最も重大な判示第一の犯行の動機は前記のとおり検察官主張のような積極的なものであったとは認め難いこと、殺人、殺人未遂の点についても、その故意が未必的なものにとどまること、このことは、等しく殺意と言っても、確定的故意と未必的故意とはやはり異なるのであって、量刑上は大きな意味を持つものと言わなければならない。その他、被告人は、殺意は争っているものの、結果において被害者らを死亡させたこと、傷害、放火及び各窃盗などの点については反省の意を示していることは被告人に有利に斟酌すべき事情として認められる。

七 本件は死刑が求刑されているものであるが、当裁判所は、以上の事情その他諸般の事情を総合考慮した結果、結論として被告人に対しては無期懲役刑をもって臨むのが相当であると判断した。

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